『更なる「愉しい」を繋げ広げていく為にこの熱と脈は落とさない!』DAI(GYRO Vo)江頭(KiM Vo)サシ呑みインタビュー、同世代を生きる漢達は新たな歩みを進み続ける。

江頭:(CiG インタビュー記事)読んだ?俺の所でも反響あったで。みんな結構見てるやんって思ったわ!

DAI:そうそう。結構見とるんやね!活字にするとねぇー。どうしても表情がないから鋭さが際立っちゃうもんね。エガさんと微妙なんですか〜とか心配もされたし、周りに吊し上げられたねえ〜って1番言われた(笑) GYROを初めてからエガちゃんともだけど、岡崎のバンドとの情報交換が著しく減ったのは確かだったし、コミニュケーションは大事なんだなど思った。

江頭:それ、まあまあリアルな話するやん。

一同笑

江頭:NOT A NAME SOLDIER解散以降の空気感は、みんなモヤモヤしてる部分はあるんやろうけど、でも各自が動き出してる中で、結局はバンドやしライブありきの話なんやから。そこは分離して考えてるんやけど、周りは捉え方が違ったみたい。まあ今日はそっちを掘り下げるんじゃあなくて、バンドの方を掘り下げるインタビューの方が有意義でしょ!

DAI:そうだね!KiMって次はアルバムかな?

江頭:そうやね。前のオリジナルアルバム(名もなき矜持)からはもう8年かな。

DAI:もうそんなに経つんだね。全然色褪せてない!

江頭:体の方はガタきてるで。お酒の吸い込みも大分悪くなってるし。

一同笑

DAI:確か初めての対バンは名古屋HUCKFINNだよね?

江頭:俺らが東北ライブハウス大作戦で、初めて石巻に行った帰りの名古屋。めちゃくちゃしんどかったん覚えてるわ。それがNOT A NAME SOLDIERSとの初対バン。

DAI:俺も以前にKiMのライブを名古屋で観てから、かなり意識してたからね。その時の事は覚えとるよ。

江頭:俺がダイちゃんのライブを最初に観たのは、TOMORROWやねんなあ。STRIKE OUTは観たこと無かったけど、NOT A NAME SOLDIERSが同じ街の混合バンドってのは知ってた。

DAI:その初対バンから、何度目かの対バンの打ち上げでエガちゃんと意気投合して、俺らのセカンドアルバムのツアーに声かけて、歴史的なFANDANGOでのライブだったんだよね!

江頭:あの2マンでのライブね!今でも鉄平(FIVE NO RISK Vo)に言われるもん。エグかったなあって(苦笑)

DAI:あの時、鉄平来てたんだ?

江頭:観に来てたんやけど、KiMとのフューチャリングの曲に出てきよらへんかったしな。

一同笑

DAI:開き直るって話でもなかったぐらいだったからね(苦笑)最初MASTERPEACEが、仕切ってくれてたのが二転三転して、俺らが仕切る形になってね。

江頭:うちらはOK出してたから、MASTERPEACEが出れへんってなった状況でダイちゃんがBRAHMAN呼ぶって言い出して、そんなノリで出ないやろって思ってたから、2マンは覚悟してた。俺はライブ自体冷静に愉しんでたけど、FANDANGOがあんなに広く感じたのは初めてやったな(笑)

DAI:1枚目のリリースツアーはIKKI NOT DEADにサポートしてもらったツアーで、2枚目のツアーは自分らでハードコアメインで組んだんだけど、中々厳しい状況で、これが今の俺たちの現状なんだなと痛感した。

江頭:ダイちゃんの所はECHOES(HAWAIIAN6主催イベント)から?

DAI:俺らは1997(HAWAIIAN6 & FUCK YOU HEROES presents ECHOES前身イベント)からだね。これはリリースする前から出させてもらってたから。その流れでHAWAIIAN6とのツアーに呼ばれたりして、結成5年目で1枚目をリリースする流れになった。NOT A NAME SOLDIERSってバンドは、特にアンダーグラウンドとオーバーグラウンドのパイプラインを造るってのを意識してたのよね。

江頭:そこの意識も俺らと直ぐに仲良くなった要因やね。その時ぐらいからKiMの進んでいくイメージが明確になったから。意識は持ってたけど、具体的にどうやって踏み込んで行こうかって思ってた時期やし、早く行動に移せたんちゃうかな。

DAI:NOT A NAME SOLDIERSが10年、TOMORROWも10年。TOMORROWの後はバンド(ハードコア)はやりきったって思ってて、やるつもりはなかったんだけど、2年ぐらいライブも観に行ってない時に、元MANIAC HGIH SENSEのサワダ君がHEROってバンドをやり始めて、STRIKE OUTと岡崎CAM HALLで2マンやるから来いって声掛けてくれて観に行ったら、スイッチが入っちゃったんだよね!そこから直ぐにメンバー探しに入って、ヤスミ(CiG Gt)や後輩に声掛けてね。

江頭:ヨシヒロ(CiG Ba)が加入するのはいつぐらいなん?

DAI:最初、ヨシヒロの弟に声掛けようと思って、電話番号知らんかったから、ヨシヒロに番号聞いた時にベース探してるって言ったら、俺がやろうかって言ってくれてね。当時ヨシヒロはSTRIKE OUTもやってたから忙しくなるから、こっちは遠慮気味だったんだけど、快諾してくれて本当助かったよ。

江頭:じゃあ立ち上げメンバーなんやね。

DAI:初期ドラムは、ヒョウゴ(GYRO Dr)なんだけど、半年ぐらいスタジオに入って、デモも創りライブやり始めて4本目ぐらいで俺がクビにしてね。そこは俺のビジョンがあってね。わがままな部分なんだけど。

江頭:それから10年経って今はGYROのドラム。再び一緒にやるようになったダイちゃんの心境の変化、バンドのビジョンの違いがあるんやね。

DAI:結成当初、GYROは経験値が少ないメンバーと始めたのもあったし、ヒョウゴにもサポートで手伝ってってお願いして誘ったのね。スタジオに入る中、ギターもベースも決まってきはじめて、曲も形ができてきた中、ヒョウゴ本人も昔のリベンジ、チャレンジしたい、もう一回乗り越えるチャンスがきたと思ってるからって話をもらってね。だけどやってく中で粗が見えて来て、やっぱり駄目だって言ってた時に、何処かでそのウワサを聞いて忠告してくれたのがヨシヒロだった。「また同じ事やろうとしとんのか」ってね。その一言で俺の甘えに気付いて、我慢するとかじゃなく、バンドとして一緒に成長していくしかないなと気付かされた。バンド全体としても経験値は少ない訳だしね。

江頭:GYROはデビューライブから一緒で、何度か演ってきた中、今は固まってきてるけど初期の頃は、やっぱりダイちゃんのパワーのみで引っ張ってるバンドやなって感じてた。バンドってメンバー全員で戦ってなかったら、いくら凄いメンバーが1人いても勝てない。KiMみたいに秀でたメンバーなんて居なくても、ここまで生き残って色んな街でライブを演れてるのは、KiMってバンドに対しての1人1人の忠誠心の高さがあるからやと思う。

DAI:自分の思想、姿勢をバンドに落とし込む中で、少し曲調にも変化があった。でもこの状況だとバンドが1つになれないなと気付いた時に、メンバーとミーティングを重ねてね。やっぱりハードコアがやりたいって話になったのね。

江頭:その変化の兆しがあったその時のGYROとの対バンで、バンドでの意思疎通も繋がりだして、バンドGYROになったんだなあと感じられた。

DAI:えがちゃんが言うように、やっぱりライブやってなんぼな世界だから最初は慣れてなくて、メンバーも辛い思いは沢山してるのよ。プレッシャーは感じてたみたい。だからスタジオも今までより倍入って、メンバー同士1つ1つ何が出来るか、何が足りないか確認しあいながら、色んな対バン相手の力も借りて経験値も上げていったね。

江頭:それが結果として現れてきてるんやね。

DAI:TOMORROWは同級生ばっかりだし、俺はあまり考えず勢いでやってただけで。その経験からNOT A NAME SOLDIERSで自分のビジョンが明確になってやり始めた。TOMORROWはシバキン(ACUTE Dr)が曲も歌詞も創って、ライブオファーやバンド運営全て引っ張ってたから。

江頭:その話は聞いた事あったんやけど、最初はTOMORROWの時からダイちゃんがバンドを牽引してるんやと思ってたわ。んで、みんなコウザン中学なんやろ(笑)

DAI:コウザン中!ほとんどそうだね(笑)シバキンが中学2年の時にエレキギターを持ってて。すげぇーなこれがエレキかって言ってたもんね!

江頭:じゃあバンドを持ち込んだのは、シバキンなのかな?

DAI:シバキンが岡崎のバンドシーンの核になるね!みんなでそのエレキギター触りながらバンドごっこみたいな感じから始まった。ダンボールをドラムに見立てたりしてね!

江頭:俺も中学の時に楽器を触り出したけど、ライブハウスは見るだけでライブするってイメージは無かったから、友達の倉庫に楽器持ち込んで毎日GIG!小さいアンプがセットで付いてるベース買ってね。THE STALINばっかりコピーしてたなあー。

DAI:俺も最初はベースだったなあー。BACK-TICK、ブルーハーツ、高校の時はCOBRAのコピーバンドやってた。それがシバキンがギターで俺がベースでね。それからライブハウスに行くようになって、シバキンがすげぇーカッコいいバンド見つけたって言ったのがMANIAC HGIH SENSEだった。その時からシバキンはファッションやバンド、国内外の音楽情報なんかも取り入れだしててね。

江頭:同い年の中で最先端やったんや。その流れからダイちゃんはいつボーカルに移行するの?

DAI:そのCOBRAのカバーバンドが解散して、シバキンがまたバンドやろうぜって声掛けてくれて、やり始める時にドラムが居ないから、ギターだったシバキンがドラムやるって流れ。俺に対してはベースよりボーカルの方が向いてるよって言ったのがキッカケでベースからボーカルに変わったのが始まり。シバキンの一言がなかったら、今の俺はなかったかもね。

江頭:面白いもんで俺もベースからやし、ボーカルに転向したのも最初ギターだったカロウト(KiM Dr)が俺がドラムに変わるから、エガのベースは合わしにくいから、ボーカルに変わってくれってのが始まりやったわ。結局、その当時から歌詞も曲も俺が書いてたし、ボーカル入れてもイメージがハマらへんかったら直ぐクビにしてたから(苦笑)だから流れ的にお前のベースが合わしにくいって言うストレートな意見は正解やったと思う。お互いベースやったら、バンド続けてなかったと思うで。

一同笑

SHARE THIS POST