U:まぁ確かにそうすね(笑)でもSHOくんの人脈やったら色々と組めたんちゃうかなって思ったりしてたんで。
S:それメシに例えたら和洋折衷が全部用意されてるのを皆で食べる感じやん。そうじゃなくて、1番美味いラーメンを決めるっていうような感じやから、今度のファンダンゴは。
ウメの期待するようなところはなぁ・・・昔からずっと言ってるけど、こういうのはどこまでいっても若い子の音楽やんか。若い衝動と力が時代を動かしていくって思ってるから。それがおかしな方向にいかないように見守りたいかなと。
U:それに関してはどうすか?スタジオ(RED HOT STUDIO)にいてたら若い子に接する機会も多いと思いますけど。
S:うーん・・・ツッパるところが変わったんかな、とかは思ったりする。
U:こういうなんは昔話かもしれんすけど、僕らのときは先輩のバンドとかに緊張しながらもデモテープ作ったんで聞いてください!とかライブ誘ってください!とか結構ガツガツいってたじゃないですか。そういうのってあんまり無いような気がして。
S:そういうのはないかなぁ。でも話してみると、違うアプローチで僕らはこうなんです!ってハッキリいえる子たちもおる。だからそんなに首をかしげるようなこともないよ。
U:見守ってるって感じですか?
S:手段が変わっただけで、目的とかは一緒なんかなぁと思うよ。
E:フォーマットが変わっただけで、僕らの思う同じようなマインドを持ってる子なのかもしれないすけど、音源できたんで先に聴いて下さい!ってURLのリンク送ってきてくれることとかはありますよ。僕は置き換わっただけで全然感覚的に近いかなって思ってます。
U:俺はもっとガツガツきてほしいねんけどなぁ・・・
S:ガツガツなぁ・・・もうそんな見返りじゃないけど、そういうの期待してないかもしれへんで。もう不良の音楽、ってわけでもないからなぁ。
E:僕よく思うことで、今日の話とかにも通じることかなと思うんですけど、イケてるイケてないの判断基準みたいなものって、それぞれの世代とかコミュニティであるじゃないですか。ただ言語化とかされてるわけではなくて、フワッとした肌感覚的なものとして。そういうとこのギャップみたいなところで僕らがヤキモキしちゃうのかなって思ったり。
S:言葉で言って、関係性でわからせて・・・っていう時代じゃないんやわ。
U:そうなんですかねぇ。ライブ観にきてください!出してください!いうようなガツガツさとか、気持ちを大事にしてしまってるからなぁ俺は・・・
E:めっちゃ残酷な言い方したら、単純にカッコいいと思われてないんかなっていう風に思ったりして凹むときもありますしね(笑)
S:まぁこういう話は・・・ここの場に若い子がいてないっていうのもフェアじゃないし。俺らより先輩がいないっていうのもフェアじゃないし。だってみんなタクさん(SECOND TO NONEのVo.)とか、ガンさん(T.J.MAXXのGt.)とかからどんな風に見られてたかなんて、確認したことある?
U:いやぁ・・・なんやコイツ?くらいの感じやったんちゃうかなぁと思いますよ。
S:それすら思われてなかったかもしれんで(笑)
U:僕とか最後の方にアビューズ(ABUSE THE ABUSER)入ったじゃないすか、あの時とか楽屋でいっつも端っこいましたもん(笑)
S:質問を元に戻すけど、若い人たちに対して思うこと、みたいな話でいえば・・・みんな音楽好きで良いと思いますよ。そんなんいうてもエロリンとか腹くくって先輩に会いにいかなアカン、いうようなことそんな無かったやろ?
E:京都は少し特殊やった気もしますからね。バイオレンスな脅威はあまり感じることなかったすけど、精神的なものを求められた感じがあったんで・・・(苦笑)
U:そういう詰められ方な(笑)
S:まぁバンドやってたら年が上だろうが下だろうが仲間やし。俺はアホは嫌いじゃないねん。無礼な奴が嫌いなだけで(笑)
一同:(笑)
E:ちょっとこれは質問事項になかったことなんですけど・・・ある種の後悔というか、あの時こうしてれば良かった、みたいなことってありますか?バンドでも個人でも、あとターニングポイントという解釈でもいいです。
S:後悔したことはないかな。その時その時のベストな選択をしてきたつもりやし。Aの道をいったときにBの道いってたらどうやったんかなと思うことはあるけど、その結果は誰もわからんからな。ただターニングポイントとしては・・・やっぱり2001年の2ndアルバムの時かな。メンバーもヤマケン(Gt.)と2人になって、大きな契約をして、今では考えられへんような費用を使って、良い環境でレコーディングして。そんな中でもっと出来たんじゃないかなって思うことはある。それがある種の後悔といえばそうなるかな。
U:その時のレコーディングって、規模でいったらどのくらいのもんですか?
S:金額は言われへんけど、まぁ凄い額の制作費やったわ。河口湖にな、日本一といわれるスタジオがあるねん。宿泊施設が併設されてて。メシとかもコックがおって作ってくれるねん。誰かがレックしてて眠くなったら部屋帰って寝る、みたいな。とにかく凄い環境やった。
U:過去にそんな予算出たバンドって・・・
S:いわゆるHARDCOREバンドではおらんやろうな。当時はまだギリギリでフィジカルが売れる時代やったから。インディーズバブル的な意味合いでいえば搾りカスくらいの時期やったけども。それでもそれだけの費用をかけてくれた。今の時代で考えたらもっともっと色んなこと出来たのになぁって。PV作ってもYouTubeもないんやから流せるところがないんやで。今やったら全曲PV録れるわ(笑)
E:ヘタしたら余るくらいかもですね(苦笑)
S:間違いなく一生に一回の環境でレコーディングしたんやけど、今になって聴き返すともっともっとあんなことこんなこと、沢山やれたのになぁって思ってまうねん。若かったっちゅうのもあるけど。当時22歳か。
U:それで結成何年目すか?
S:レコーディングは2000年やったから、結成3年目かな。
E:そこがエグいんすよね・・・異常に展開が早いというか、何もかもがジェットコースターすぎません?
U:正直・・・その頃は結構遊んでました?(笑)
S:いや、それが全然やねん・・・なんせ年間120本くらいライブしてたから。ライブしてバンドして・・・しかも今みたいに土日だけちゃうで、1回ツアーに出たら1ヶ月とか帰ってこれへんやつや。ほんで最初はこっちからブッキングもお願いしてな。DOLLとかのライブハウス一覧みたいなんに片っ端から電話かけてな。
U:あの頃そんなライブやってたんすね・・・ エッジのデビューライブってどこやったんすか?
S:ええ質問やな(笑)奈良の生駒にレイブゲートあるやん、あれ昔はカラオケボックスやったんやけど、パーティージョイっていう。そこが初ライブ。
E:あぁ、レイブゲートは今でも楽屋がカラオケボックスですからね(笑)
S:みんなでイスとか机とか外に出してライブをするわけ。とにかくライブがやりたくて。ドラムが奈良のやつで、話持ってきて。
余裕で思ってたんと違ったという(笑)
そのあとは俺の地元で(神戸)スタークラブ(LIVE ハウス)が立ち上がった頃やったし、神戸でライブやり始めたのが後に繋がっていった感じやね。
1997年の暮れのライブで、後のDYINGRACEでVo.やった秋山くんがPROTESTってバンドで対バンやったり、コーセイくん(JOHN HOLMEZ)とかナオ(STRAIGHT SAVAGE STYLE, IMMOTARITY)と出会ったのもその頃やった。先に俺がアメ村で働いてたからSxSxSの奴らとは先に繋がってたりしてたかな。
U:一気に色々と動き出してる感じすね
S:その頃にロケッツでBEST WISHESってイベントにT.J.MAXX、JOHN HOLMEZ、DUG REVENGE、REASON OF HATE、OFFSIDE TRAPとかが出てるイベントで。その時に渡したデモがキッカケになって、HARDCORE BREAKOUTの方も呼んでもらえるようになった。他にも梅川(MAN AGAINST MAN, B SIDE APPROACH, NORTH MAN NOSE)がYouth Strike Chordやってた頃、緑橋の青年館?かなんかでスタジオライブとかがあったりしてな。
E:envyとかも呼んだりしてましたよね、何かで読んだり見たりしたことあります。
S:そうそう!現she luv itのシゲルくんも当時のバンドで出てたり。まぁ色んなところで色んなものが形づくられていってた時やね。ちょっと脱線してもーたけど、それが1997年の話。
E:NOTHING BUT A HARDWAYのコンピが1998年ですもんね、正に前夜っていう感じで。さっきのロケッツのメンツとかまさにそんなメンツですね。
U:俺がSHOくん出会ったのは俺が17歳くらいで、SHOくんが働いてたアメ村の服屋やったすね。
S:お~そうなんや。
U:ほんでオゾンかなんかのライブでデモテープもらって・・・配ってましたよね?ほんでその時に結構喋ったんすよ、あざますーいうて。せやのに、次に会ったときに話したら誰コイツ?みたいな態度されて(笑)
一同:(笑)
S:性格悪いな~(笑)まぁいうてもその辺の兄ちゃんやったわけやしな。
U:その次がサンホールやったかな、2本目のデモもGETしてまた喋るわけよ。そしたらSHOくんがお前こないだよく暴れてたなぁビデオ映ってたでぇ、いうて結構フレンドリーに話してくれて。せやのに、また次アメ村で会ったら知らんわ誰やアイツみたいな感じで。ヒドイなこの人!ってめっちゃ思ったわ。
S:最低やな(笑)その頃は10分とか20分とかのジジババがカラオケ吹き込んだりするようなテープをライブのたびに100本くらい買ってな。ダビングしすぎて劣化して。売りもんならん思ってタダであげてたわ。
U:エッジは基本配るスタイルやったすね。
S:なんの話してたっけ?ターニングポイントか。
E:そうすね、さっきのはちょっと思いつきやったんで。次は・・・STRONGER THAN BEFORE(当時の大阪ハードコアの名VHS)のことを聞きたいなと思いまして。
S:おうまた古い話やな。
E:今回のインタビューする時にSMDの奴らと話してたら、やっぱりその辺の話は聞きたい人も多いんちゃうかとなりまして。あれって僕も細かいことは知らないんすけど、HARDCORE BREAKOUTとSxSxSが一緒にやるって感じやったんですかね?
S:いや、全然違うねん。あれはSONYで働いてた京都のハードコア好きな女の子がおって、その子が持ち込んでくれた企画やってん。メジャーレーベルが知らないローカルのハードコアっていうのを、ダイブとかモッシュとかの熱量もちゃんとおさめたライブ映像としてパッケージングしたいと。せやしビデオシューティングありきのイベントやってん。なかなか凄い話やった、クレーンまで入れて撮影したしな。
E:その辺のことは全然知らなかったです。僕が大阪のハードコアのライブに行ったのは2001年くらいやったんで。
S:あれは98年の7月とかやったかな。当時はTJ MAXXとJOHN HOLMEZが中心になってやってくれた感じやった。ほんでSONYのディレクターとかが当日観に来てくれてたんやけど、その後に俺らのライブを観てアルバムリリースの話になってん。
E:ウメくんは行ってたんすよね?お客さんもビデオシューティングあるって分かって行ってた感じやったんですか?
U:行ってた。俺めっちゃ映ってるで。高校最後か出たかくらいの時期ちゃうかな?ビデオシューティングってのは分かってたで。フライヤーにも書いてたんちゃうかな。
E:僕まだバリバリのメロコアキッズやった頃すね。でも凄かったなと思うのはそういう子にまでビデオが出回ってたってとこですね。
S:あれが周りのバンドも含めて初めてのメジャー流通の作品やったからな。一般のCDショップに並んだのも初めてやったと思う。ほんでさっき言うてた女の子が1stアルバムのツアーとかもマネージャーとして全部ついて回ってくれたんよ。洗濯とかまでしてくれて。
U:ガチのマネージャーすね(笑)今は全然違う仕事してるんすか?
S:10年前くらい前に東京で会ったのが最後かな、何となく地元で仕事してるっていうくらいのことは知ってるけど。その会った時に、当時のツアーの映像とか1stのジャケのネガとか、全部渡してくれた。いつか返そうと思ってたって。