パンクで天下を取ってやる!
と岡山の片田舎から大阪に越してきて21年目の夏を迎えたわけであるが、まあ何がどう変わったかと聞かれると、年齢。
40代に片足突っ込みかけてると言ったことぐらいだろうか。
20代、あれほど打ち上げでポコチン振り回して走り回っていたのだが、そう言った愚行も少なくなった。そのかわりと言ってはなんだが、酒に酔ってグチグチと講釈たれる事が増えた気がする。男の子としては前者の方がよっぽど健全だろう。


怖かった先輩達が少なくなり、自分が年上という立場となる機会が増えるにつれ、酒に呑まれて老害全開メンドクセンジャーに変態していくのだ。だからといってもうこれは仕方ない。嫌だったらみんな離れていって1人になると言うだけの話。だが、そんな大人にはなりたくなかったという若き自分の想いのカスが頭の片隅をよぎる事によって自己嫌悪という全く以って生産性の無い感情を生み出すのだろう。だったら気を付けなさいよ。
うん、分かってる、分かってる。
何も分かって無いって事だけは。
「憎まれっ子世に憚る」だ。いや、、お前嫌われてるだけで全然憚れてないけど。

2008年すこぶるお世話になったライブハウスPIPE69が閉店した。アメ村サンホールビル前の道を挟んで斜向かいの2Fにあったその店はいくつもの伝説を生んだ。様々な出来事は割愛するが、20代をそこで過ごせたのは幸せだった。居場所を無くされた俺達は放り出され路頭に迷いかけていた。そんなタイミングで火影に世話になる機会が増えた。これは店長の佐野がよくPIPE69に遊びに来てたからというのも大きい。俺にとってPIPE69の置き土産が火影となり、今では勝手知ったる俺達の居場所となった。
そして難波rockets、clapper、戦国大統領、新神楽、ロクに客も呼べない俺達を本当に良くしてくれた。今も呼べないけど。
ライブハウスは音もさることながらやはり人が作るものだと痛感している。

とはいってもバンドの状況が好転するということはあまり無かった。もちろん沢山のバンドに出会えたし、沢山の想いある夜を過ごせていたのだが。
2009年俺達はアルバム制作に取り掛かっていた。何処のレーベルが、とか誰に言われて、とかでは全然無く、相手にされてなかった。だからアルバムを作りツアーを周って
認めさせたかった。色々相談はしたものの
良い返事をくれる人は誰もいなかった。
そりゃそうだ、良くもないバンドに誰が力を貸してくれるんだって話。
それなら自分でやるしかない。
とある日、俺は福島区にあるライブハウス、セカンドラインに遊びにいっていた。友人が企画するとのことでちょっくら顔でも出そうかなという具合に。そこで久しぶりにKiMのメンバーと再会した。ボーカルエガちゃんとドラムのカロさんだ。彼ら2人はまるでドラゴンボールのベジータとナッパの様だった。
酒でも買いにコンビニ行こや、と誘われ、
肌寒くなった夜の街を歩いた。

俺、アルバム作ろうと思うんすよ。
レーベル立ち上げて。
でも勝手が分からなくて、もし嫌じゃ無ければ流通手伝って貰えないすか、?

エガちゃんは一呼吸置いて、こう言った。

全然手伝うよ。ていうか、俺のレーベルFRONT OF UNIONから出せよ。なあ、カロ?ええやんなあ?

いやいや、有り難いですけど、俺らこんなんやし、、。

何言うてるねん。大阪では知らんけど京都俺ら周りでのお前の評価は高いで。俺はお前ロックスターやと思うてるし。

うん、うん、と頷くカロさん。

道の反対側ではSTRONG BLOSSOMのヤソ兄が、選挙カーのウグイス嬢に暴言を吐きまくっていた。

2009年秋、FRONT OF UNION激動前夜の号令とばかりに、
ヤソ兄の叫び声は夜の街に響き渡り、ビビった選挙カーは無音で福島の街を後にした

ARTIST INFOMATION

武骨夜特設ページ

https://bkn.frontofunion.com

8/21.8/22武骨夜@KYOTO MUSE HALL チケット一般発売開始

https://w.pia.jp/t/bkn20/

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