[CD]【1st&2nd AL CDset】KLAXION 2nd FULL ALBUM 「アヴァンギャルド」+ 1st FULL ALBUM 「警笛ナラセ」

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NAKAYAMA 当時はドラムを習ってた人がハードロック出身の方で、今でも現役で太鼓語りって形で、和太鼓とか凄いセットを組んで自分で歌いながら演奏される方なんです。
その人に習い始めてツインペダルとかも覚えて、周りもハードロック・メタルがしたい奴が集まってきて聴き出したのがPANTERAとかやったんです。
そこから迷彩のハーフパンツとか履いて、重たい音をやり出した時期で。
週1回はレッスン、個人では毎日入って1番練習してた時期です。
それを1年程続けるうちに先生が「もう俺が教えられる事は無いから」って紹介してくれたのが俺の師匠、元AGGRESSIVE DOGSのドラムだったテルさんって人っすね。

江頭 テルさんはAGGRESSIVE DOGSの初代ドラムの人?

NAKAYAMA 2代目ですね。パンクから丁度ニューヨークハードコアスタイルに変わる時ぐらいですね。

江頭 WE NEVER TRADEぐらいの時期かな?

NAKAYAMA そのちょっと前までですねー!
習い始めに、とりあえず基礎から行こうかって8ビートした瞬間、出音から何から全然違い過ぎて一瞬で引き込まれました。
その時期と同じぐらいにそのスタジオがもう1店舗出すから、働かんかって誘われたんでドラムショップも併設しとるスタジオだったんで勉強にもなるしって事で働きだしたんです。
その頃にはハードコアのドラムの楽しさを色々教えてもらってどハマりしましたね。

江頭 その時で何歳ぐらい?髪の毛の長さは?

NAKAYAMA 17歳で、髪はまだ長かったです(笑)
スタジオで働き出してからテルさんとも居る時間も長くなって交流深める中、やっぱり男らしく髪はばっさり行こうかって事でその店で断髪式しました。いきなり丸坊主で

一同笑

NAKAYAMA その時は痩せてて60キロ無いぐらいだったので、とにかく身体を大きくしろと1日最低ご飯3合、出来れば1回の食事で。お金ないんで、おかずはチキンナゲットでしたね(笑)

江頭 それで出音変わった?

NAKAYAMA 変わりましたね。パワー付いたのもありましたけど、師匠自体研究熱心な方で細かい部分なんかも色々教えていただきました。元々師匠もルースターズのドラム池畑さんの後輩でビートロックからパンク、ハードコアって流れだったみたいで、横道坊主にも誘われた時期もあったみたいですね。

江頭 そこが今のKLAXIONの方向性にも繋がって現れてきてる部分なんかもね。

NAKAYAMA かなり大きな部分ですね。
後、もう1つ大きな部分があって、一旦ドラムだけの練習は辞めてリズムの勉強をしよかってベースやってる人を紹介されたのがAGGRESSIVE DOGSの元ベース、サガラさんだったんです。2人でスタジオ入って2,3時間、8ビートだけで何回か何日か入ってやってる内に「んッ」って微妙な変化に気づいてハイハットでアクセントっぽいのを加えた時に、「コレがグルーヴや」って言われて、じゃあ次は頭にクラッシュを入れて8ビート刻んで、じゃあ次はタム、って感じで足していく流れで「コレがリズムのうねりや!」って言われてなる程ってなりました。

江頭 「リズムのうねり」ね!
今のKLAXIONに生かされる大きな部分やな。その時で何歳ぐらい?

NAKAYAMA 19歳ぐらいですね!
その時にNYハードコアのバンドがしたかったんですけど周りには居なくて、ファッション、アパレル系もスケーターや古着とかが、徐々に出だしたなあて時ぐらいで。その時期に小倉でやり出したのがSTARTERのボーカル,YOUTH-K君で。前身バンドがMINDSETっバンドでその当時小倉でシーンを作ってて、そこにブラウンも居たり、僕もちょこちょこ遊びに行ってはいたんですけど、自身のバンドが無かったのでモヤモヤしてましたね。

江頭 でも後に、その小倉のシーンやムーブメントには参加する事になるやん、ブラウンとはまだバンド始めて無かったん?

NAKAYAMA そうですね。
ブラウンはMINDSETでボーカルやってて後に、別のバンドへ。僕はラウド系のバンドをやってたんですけど、やっぱりハードコアがやりたいってなった時にブラウンの所のリズム隊が抜けたんで、一緒にやろうかって話になって組んだのが、fullrangecautionですね。京都で言うとNAIADみたいなバンドでしたね。

江頭 叙情派とか激情とか流行り出してる時かな。

NAKAYAMA それでやってく内にライブオファーも増えてきて、FC FIVEが九州ツアー来た時に一緒に回ったりする中、色々繋がりも増えて名古屋のマーブルレコードのトモアキ君や、大阪レコードショップ礎の久保さんがイベントに呼んでくれたりしたんですよね。

江頭 じゃあその時期が全国のハードコア関連との接点が増えたり広がった時期なんやね。その時の髪型は?

NAKAYAMA 坊主です‼︎
髭で眼鏡で坊主。そのちょっと前に20歳で見た目40歳って言われてました。

一同笑

江頭 さっきも言ったけどウチのオカン曰く、戸畑で20歳超えて丸坊主は〇〇○やから。

一同笑

NAKAYAMA fullrangecautionはリーダーはギターだったんで方向性は叙情系ハードコアで対バンもそっちよりかファストメロディックなバンドとやってた中、岡山行った時に「踊れるenvyやね」って言われて…

江頭 その文言いただきますやな

一同笑

NAKAYAMA フロントマンは黒のTシャツ。
でも僕はAGGRESSIVE DOGSの血が入ってるんで、ライブはタンクトップで通してました(笑)

江頭 その時、入れ墨はスタートしてんの?

NAKAYAMA 肩いってましたね!後、背中をちょっとで、入れ始めたのは20歳からです。まあそのバンドで26ぐらいまでやってたんですけど、自分の思い描くハードコアとは違うって感じて辞めたんです。
辞めてからすぐ上手くいかずに、残ってたブラウンの方もうまく行かなかったみたいで、じゃあ一緒にやろうかって始めたのがKLAXIONの前のJUNOってバンドです。

江頭 って所でブラウン到着やな
お疲れー乾杯‼︎

BROWN
お疲れ様ッス!

江頭 KLAXIONになる前にもう一つ前身バンドがあるんや。 

NAKAYAMA そうです。その頃は更に色んな出会いも増えて、街のクラブミュージックやDJとも繋がりが増えた時で。バンド自体も曲も増え、大分固まってきた時期にSLANGの「THE IMMORTAL SIN」アルバムのツアーの小倉場所で参加させてもらったんですけど、全然ダメでうまくいかなかったです。

江頭 俺も初日の札幌、もちろん京都編も参加したなあ。そのツアーTシャツ見てこれとこれ俺出たよなあーとか思い出したりしてたね。
「JUNO」ってバンド名はどう決めたの?

NAKAYAMA ジュノンボーイからやったかな(笑)

BROWN (笑)まあ神様みたいな名前を付けようって流れから「JUNO」になりました。

江頭 じゃあそのツアーでの経験談からすると「JUNO」は短命やったん?


NAKAYAMA 短命でしたね。
これじゃあダメやと、その時あった曲を全部無くしてツインギターにして曲作り含め2年ぐらい潜りました。

江頭 完全に仕上がるまで地下潜るって形を取ったんや。

NAKAYAMA それでバンド固まってきてやり始めた時に、ベースが飲食で大阪に店を出す為に修行に行きたいって事で、辞めるにあたり代わりのベースを連れてきてくれたのが、元BALL BUSTERSの円(エン)ちゃんだったんです。

江頭 そういう流れがあったんや

NAKAYAMA エンちゃん加入後にバンド名変えよかって話になってエンちゃんから挙がった名前が「KLAXION」だったんです。

江頭 そこ発信からのバンド名なんや

BROWN 違う違う。メンバーや友達と飯食いに行った時にエンちゃんの嫁さんが言ったんっすよ。

一同笑

NAKAYAMA とりあえずバシッと何とか何とかみたいなバンド名じゃあない形が良かったんで。

江頭 「WINGLESS ANGEL」とかじゃあなくって
バシッと一言「KLAXION」って形ね

一同笑


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