■profile

EX-C:guitar(front of union)
THE HAWKS:guitar(suns japan)
t.j.maxx:drum(1994〜20160220)
BOXED IN:bass(2001〜2007)
metho:bass(2011〜2013)
丸一屋(1966〜)

『そんなもんじゃ、音楽への憧れは止められねえんだ!』



連載第一節
2020年8月10日
私は、
b side approach のライブに、ヘルプとしてbaで参加した。

オファーが来たのはライブ当日の2週間と2日前。
他所のバンドでヘルプやるのは4年ぶり。
ベース弾くのは6〜7年ぶり。

正直迷った。

加齢によるフィジカルと五感と脳味噌の劣化が、日に日に増していると実感するこのごろ。
時間も自信もなかった。
私が特に得意としていたのが、
フレーズや曲構成を瞬時に記憶することだった。
記憶力は確実に低下している。
音楽のコトで、
さらに衰えを実感するのが怖かったのだ。
だが同時にチャンスだとも思った。
己を鍛え直す良い機会であると。

そもそも私はヘルプをするのが好きである。今まで色々なバンドでやってきた。
なぜなら、聴くと演るでは全く体感が違う。
経験値が一気に100倍くらいになった様な…

そう
音楽に正解はない。
自分が今までのメンバーと経験したモノとは違うルール、解釈、リズム、音色。
新鮮と発見の極みですわ。
自分の財産が増えていく様な。
もうビッチです。パンコです。

それに、b sideの彼ら一人一人とは、後輩といえど長く苦楽を共にした仲間である。
断る選択肢など、私には最初からなかったのだ。
オファーを貰ってから2日後には演ることが決まった。
時間は限られている。
現実的には2〜3回のスタジオリハが限界だろう。
私はすぐに取り掛かった。

愛機の一つである、
gibson lespaul special bass(lpb-1)(91年〜)

をすぐに取り出し、
ようやく最近使い出したサブスクを駆使し、曲を憶え始めた。弦は腐っていた…。

ちなみに抵抗を感じつつも、サブスクを始めた理由は、ワレワレのバンド EX-C がサブスク解禁したからであるw いやぁ便利な世の中w
Apple musicやSpotifyを使ってる方は是非とも!

■EX-C各種サブスク

⇒1st ALBUM『DANCE IN THE DARK』各種サブスク

⇒Mini ALBUM『STILL』各種サブスク

⇒最新シングル『SUPPORT YOUR LOCAL』各種サブスク



閑話休題 – intermission①

ワタクシのbass遍歴

初めてベースを買ったのは17歳のころ。1990年。選択したのは…いきなりfender usa precision bass
しかも1962モデルのリイシュー。80年代製
ペグが逆巻きなのが特徴的。

後に現行のプレベと比較したら、見た目はほぼ変わらずとも、全く違う楽器かってほど違ってたw
newbalanceのkicksの様である。
例えば、574と577と1400。見た目はさほど変わらないのに履いてみると全く別のクツなのである。
その感覚に近い。

まあ最初のベースとしての選択は間違ってはいなかったのだが…
17歳のクセに、いきなり20万のローン組んでしまったw
アホですね。今もやけど。

コレはあくまで私的な持論であるが、
私のフィジカルでは、身体が小さ過ぎて、プレベを鳴らし切るのは無理があると思っている。
相性もあるのかもしれないが。
fenderのbaは頑丈やったり、レンジも広く、安定感はあるものの、自分的に、本当に欲しいコード感のある中域は、前面に出にくい。オマケにデッドポイントも多い。

それらを感じさせずに演奏するプレイヤーは、決して多くはない。
弾き手の高いスキルとセンスが要求されるのだと思っている。
当時の私にはモチロンそんな上等な技術はなかったw
故に、愛用はしていたものの、ついには使わなくなってしまい手放した。
(安く売っちまったなぁ…今見たら相場メチャメチャ高いがな…泣)
現在は元masterpeace / やじん のキミ君が所有している。
キミ君はバッチリ使いこなしている。
(キミ君ももうba弾いてないなw またいつか観たいですね)

kimi(元masterpeace / 元やじん)

で、時は流れ、
ベースでバンドを始めたのはかなり遅く、28歳になってからだった。
BOXED IN(2001〜2007年 解散)というバンドでbaを弾くコトになるのだが、

やはりプレベを使ってる間は、どうもしっくりこなかった。
02年にalbumをrecして、
試行錯誤したが、結果思い描く音色が出せず、ベースを買うコトを考え始めた。

BOXED IN
reside in the shell
(vato records / 2002)

すると、割と身近に自分の理想に近い音を奏でる人がいた。
青天上 セイノ氏。
gibson lespaul bass(recording)(初代)(1969〜)

青天上(1989〜)

かの、故レスポール氏が1969年に初めて作ったベースであり、レスポール氏自身が使う為に作られたlespaul recordingというギターのベース版である(マホガニー ボディ、マホガニー ネック、所謂オールマホって奴で、ウォルナット フィニッシュ、lespaul recordingに採用されている、ローインピーダンスpuを搭載)。

lespaul recordingを弾く、故レス ポール氏(1915~2009)

そして、
青天上のライブを観て思い出したのだ。
例のプレベを買う前に一度、他のベースを買いかけたことがあるということを。
場所は堺市三国ヶ丘駅前にあるfazzというライブハウスの二階にある中古楽器屋兼スタジオである。名前は…忘れてしまった。これが老化である…。
試奏もして、かなり気に入ったのだがその時は何故か断念した。

それこそが、
gibson lespaul triumph bass(1971〜)
初代の後継機である。

ガンダムで言うところの、
マークⅡってとこか?
いや、どっちか言うたら、
プロトタイプの百式とZかなw
或いは旧ザクとザクⅡ。もうええか?

左:初代 RX78GUNDAM
右:後継機 RX178GUNDAM mk-2

アメリカ村の三木楽器のヴィンテージコーナーですぐさま当たりの個体を見つけた。
高価だったが迷いはなかった。
またローンであるwアホです。
triumph ! 名前もイケてる!
(トライアンフ / 意味は勝利。最近の女性下着メーカーとちゃうで、そっちは同じスペルでトリンプって発音しよるわ。どっちか言うたら単車の方がしっくりくるな)

年式は自分の生まれ年と同じ、1972年製だった。運命的なモノを感じたw
ふくよかな、丸みのある低音、それでいて音程感がしっかり感じられる中域、デッドポイントの少なさ、均一感のある音圧、ショートスケールの取り回しの良さ、幅狭で奥行きのぶっといネック、主張の激しいルックス。
どれも私好みである。
(仕様は初代同様 オールマホ、ローインピーダンスpu搭載である)

その後、こいつを使ってレコーディングした BOXED IN の音源が、
お蔵入りになったのは現在でも悔やまれる。

ちなみに、現在私がguで所属する
skinheads band、THE HAWKS のlegitimeviolence(Canada / Quebec)とのスプリットアルバムは、このベースで録りました。
良ければ音聴いてみて下さい。

respect and honer east meets west
THE HAWKS×Legitimate Violence
(yellow side records / 2015)

そして私のレスポールベースへの欲求は加速度を増してゆく。

私が愛してやまない
griffinの、baである村本氏がgriffin中期に使用していたのが(後に盗難に遭い紛失したそうです)
gibson lespaul special bass(lpb-1)(91年〜)(初期型)

THE GRIFFIN

素晴らしすぎる音色で、すぐに探したがなかなか出会えず、苦労してなんとか2本手に入れた(ヤフオク)。
一本目はいわゆるTV yellowと呼ばれる(lespaul specialギターによく見られる、黄土色っぽいヤツ。大昔、モノクロ映像での見映えが一番良かったので作られたカラー)

gibson lespaul special TV yellow

2本目はサンバースト。村本氏と同じカラーだ。こちらがメインになっていった。

先程のhawksの音源の最後の曲だけはコレで録りました。
今回のライブも勿論コレです。

長く生産されていなかったレスポールタイプのbassが91年に姿を変えて復活。よりギターのlespaul に近いルックスへ変貌を遂げた。
こちらもオールマホ、それてロングスケール、puはThunderbirdと同じタイプ。
triumphのショートスケールゆえのサスティーンの短さや、レンジの狭さ等を克服し、かつハリのあるアタック感を得、それでいて、triumphの長所は引継いでいると思われます。
コイツを使ってベースを弾いていた、METHOってバンドのライブのダイジェスト動画ですが、
良ければ音聴いてみて下され。

だが、音は素晴らしいのですが…余りにもろい。2本所有のうち1本は大破…まあgibsonはネックが弱いですね。宿命です。泣

triumphも古過ぎるゆえ、パーツ等で換えがきかないので、予備をもう1本所有していたのですが…
現在EX-C / the hawksでメインで使ってるギター
gibson the paul後期(1981)
(gibsonギターには珍しい ウォルナット / くるみ body)

がどうしても欲しくて、
頼み込んで強引にブツブツ交換しましたw

他にgibson lespaul standard bass(lpb-3)

も買ってみたんですが…
(モチロンまたローン)泣 アホです。
コレは使いモンならんかった…音のエエとこが鳴らんわ重いわで…
見た目はエエんですけどね。masterpeaceで使ったかな。
すぐ売りました。買った値段で売れましたw
中古も未だよう転がってますわw

とまあ、不人気なgibson lespaul bassをアホみたいに追いかけてたんですが、
モチロン使ってる人もほぼ見掛けませんw
私の知る限りでは、元TOKIOの山口メンバーくらいですかねw
(おそらくgibson lespaul delax(lpb-2))

ちなみに、griffin 村本氏が初期に使用していた、
gibson eb3L slothead
いわゆるSGベースのロングスケール。穴あきヘッドの激レア仕様!後向きのペグが特徴的で存在感ハンパなし!ヘッド落ちを軽減する為の軽量化と思われますが…余裕でヘッド落ちしますw

は、b side approach の正規のベース、マサトが一時期使っていました。
激レアなブツです。
最高の音です。
ぶっ壊れて手放した様ですがw

楽器遍歴はまだまだあるのですが…またの機会というコトでw



さて話は本題、b side。
猶予は2週間。
リリースしたばかりの新譜からの、聴きなじみのない6曲 + 既存曲2曲。
なかなかの高難易度ミッション。

B SIDE APPROACH
I STAND ALONE
(over thirty kids / 2020)

憶えるだけならそこまでキツくないにしても、
やはりやるからには、
それなりの精度と、自分なりの解釈、answerを用意して臨まなければならない訳で。
しかし、自分の色の出過ぎも良くない。そのサジ加減が大切であり、また楽しくもあるのですよ。
まぁ何でも絶妙のバランスに持っていくコトが大事やと。なんのこっちゃ?

で、
やり始めたら、すぐに勘が戻ってきた。予想外だった。
やや安堵した。
ベースもすぐ手に馴染んだ。
ドラム、ベース、ギターとやって来たが、やはりベースが一番ストレスがない。自由に演れる。楽しい!

すぐに5曲ほど憶えて、
2日後に1回目のリハ。
ここでメンバー全員が『イケるな』と確信してしまい…
最後のリハはちと気が緩んでしまいましたね。反省。

で当日、
若干の不安を抱えながらリハーサルが終わり、
ライブスタートまでの空き時間が結構あったので、
車中で練習しようとすると…
梅川が

『オレも弦張り替えたりしますわー。』
って言うといてやで…
言うだけ言うて弦替えてなくてやで…
ライブ本番中に弦を切るという失態…

彼はミュージシャンとしては最低ですが、
そうでなくても人間性がホンマに最低なんですが、
バンドマンとしては最高にHCなのです。
ハイ褒めてます。

彼の邪魔(活躍)もあってw 本番は、やや消化不良なとこもあったので、
リベンジの機会がまたあればなと、水面下で目論んでおりますw
b sideの皆、その時はまたヨロシクです。

最後に。

現在、東京でライブするというコト。いや、東京でなくてもライブハウスで演奏するというコト。ライブハウスに遊びに行くというコトそのものが、リスキーであったり、非難の対象であったりするかもしれません。同調圧力を感じるときもあります。東京と大阪の温度差もかなり感じました。

だが、ワレワレは(愛の為、闘い忘れた人の為 – cyborg 009 1979年)、(誰も知らんか?)
立ち止まる訳にはいかないのですよ。
散々世話になった箱が窮地に立っているのを、傍観することなど出来る訳がない。
孤軍奮闘する仲間や同士や戦友の姿を見て、共闘したいと思わない訳がない。
そしてなにより、
私自身が音を奏でたい!!

covid-19。新型コロナウィルス。
確かに未知数であるし、
リスクもデカいのかも知れない。

ただな、これだけは分かるぜ。そんなもんじゃ、音楽への憧れは止められねえんだ!(ナナチ)

ナナチ(メイドインアビスより)

皆様それぞれに、
家庭や職場、学校等の環境の違い、
度し難い事情もあるコトでしょう。
誰も無理強いは出来ませんし、するべきではない。

情報は今も交錯している。
本当のコトなどワレワレには届かないし、知る由もない。
正解は誰にもわからない。

周りに惑わされるコトなく、オノレの信念を信じ、貫いて下さることを切に願います。



閑話休題 – intermission②

自称ヘルプ職人のヘルプ遍歴

second to none dr. per.
B.D union ba.
johnholmez dr.
divided we fall dr. ba.
masterpeace gu. ba. dr.
no one rules dr. gu.
beyond hate dr.
straight savege style dr.
vanquish sound enterprise dr. ba.
new world disorder dr. ba.
metho ba.
the index gu.
赤犬 light performer.
atmosfear per.
the hawks gu. ba.
EX-C ba.
last one standing vo.
乳輪パープル ba.
zange dr.
b side approach ba.
(後にメンバーになったモノ、ライブのみ、recのみ、ゲスト参加、ぶっつけ、も含む)
てな具合に、今までアホみたいにヘルプのオファー受けて来たんですが、これからも色んなミュージシャンと音を奏でたいと思うのであります。ビッチです。



閑話休題 – intermission③

聖断(ポツダム宣言受諾)

8月10日
くしくも、75年前、昭和天皇(裕仁)が、ポツダム宣言の受託、『聖断』された日である。

皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。
午前2時を回ったところで、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の意見を求めた。
「まことに異例で畏多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」
促された昭和天皇は言明した。
「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」。この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。いわゆる「聖断」が下された。

終戦…玉音放送5日前の出来事である。
軍部が本土決戦への準備をしている最中でのコトだった。
この『聖断』がなければ、日本は本土決戦、一億総玉砕を強行、ソ連の北海道進軍、或いはもっと悲惨な結末を迎えていたのかもしれない。

宮内庁が2015年8月1日に公開した、現在の「御文庫附属庫」

全く音楽と関係ない話で申し訳ないが、
私は、
8月はやはり毎年普通ではいられないのだ。
戦争について考える。

終戦から75年。

反戦、平和、モチロン永遠にそれを願うし、そうあるべきだ。
人の親になって益々そう思う様になった。
最近の政府のあからさまな右傾化と国民を見下す態度には嫌気がさすし、
我が子を戦地に駆り出される可能性など、1ミリも増えて欲しくない。
答えは決まっている。
戦争などしてはならない。

だが歴史も真実も、見方、捉え方次第で変貌してしまうし、
国家もメディアも平気で事実を捻じ曲げ、隠蔽し、そして虚偽の真実を捏造する。
これは戦時中でも戦後でも現在でも変わらない。
皆さんも、今回のコロナパンデミックで身を持って体感していることでしょう。

ですから、今一度、過去の大戦で何が起こっていたのか、ワレワレの祖父母はどんな想いで生き、死んでいったのか、自分自身はそれとどう向き合うべきなのかを考えて欲しい。

靖国のA級戦犯の別祀問題や、
南京ホロコーストの真偽、
アジア解放、大東亜共栄圏の大義の是非、
米国人が主張する、広島/長崎への原爆投下の意義や正統性、
特攻は全くの無意味だったのか?、
裕仁の戦争責任は?
東京裁判(極東国際軍事裁判)でのパール判事の言葉、
731部隊の隠蔽、
etcキリがないですが…
全て日本が悪かったと思っても当然かもしれない。

では日本人総てが悪なのか?
国家が悪なのか?軍部の暴走が悪なのか?では日本国民は被害者なのか?
ワレワレは何を思い、誰に何を感謝し、何を誰に謝罪すべきなのか?

誰も答えは教えてくれない。
だから考えてみて欲しい。
ワレワレの祖父母達の中に、ワレワレの父母を、家族を、故郷を守る為と信じ、自ら命を投げ出した人達も居たというコトを。
ワレワレが何を知り、
今何をなし、
子供達に何を伝えてゆくべきかを。

ご清覧ありがとうございました。
では、お叱りのお便りお待ちしております。

mizutamaxx



■EX-C ライブ予定

8/22(SAT)Fareast Death Cult @SOCORE FACTORY

8/29(SAT)Master Vibration @HOKAGE

9/19(SAT)Killing Me Softly Vol.3 @NAMBA BEARS

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